東大合格への道

東大を目指した理由:先取り学習の効用で高校に入り合格圏内に

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東大を目指した理由:先取り学習の効用で高校に入り合格圏内に

ここでは僕が東大を目指すようになった時期とその経緯について話したいと思います。

現役東大生、東大卒の中には、幼い頃から親の厳しいスパルタ教育を受けながら、常に周囲にライバルがいないまま 小中学校時代を過ごしてきたツワモノも少なくないと思いますが、少なくとも僕はそうではありませんでした。

他のページでも述べたように、僕は小学校の頃の成績は平々凡々で、中学生の頃も学年260人中3〜5位といったところで、 1位はなかなか取れませんでした。この頃の僕は将来、大学に進学するにしても東大は僕にとって全く手の届かない 雲の上の存在という認識で、この頃の僕の最終目標は早稲田大学でした(理由は小中学校の頃の成績のページで述べた通りです)。

僕が東大を意識したのは高校に入ってからでした。

この高校は平均学力はさほど高くありませんでしたが、学力特待、スポーツ特待制度があり、 学力特待性を含む最高の区分け(仮にA類とします)の平均偏差値は茨城県の新教研テスト相当で70ということでした。 学力特待制度で優秀な生徒を獲得して、県南一の進学校に向けて奮起していた時期でした。 そのバロメーターとしてこの高校が掲げていた目標が東大合格10名以上でした。

実績至上主義、実績を挙げるためなら、生徒の幸せや自由を奪っても構わないというほどの徹底ぶりで、 この高校の学力特待を含む最も高いランクのA類の150人ほどの生徒、特にその約半数の80人前後の生徒には、 部活動禁止令が発令され、放課後に学校に残って自主学習を半強制的にさせられました。 噂には聞いていましたが、まさかこれが3年間も続くのかと思うと絶望し、 こんな生活は耐えられないとまで思うようになりました。

例の県立高校は不運にも不合格となったのだから、この高校に入るのはほとんど自動的に決まってしまったに等しい状況でしたが、 それにしてもどうしてあの県立高校に合格できなかったのかと、自分の不運を嘆く日々を過ごしていました。 勉強ばかりで息つく暇もなく「ピアノが弾きたい、ピアノが弾きたい」と心の中で泣きながらの生活でした。

周囲の生徒の多くは、例の県立高校を始め、県立高校に受からずにここに流れてきた僕と同じような境遇の哀れな人たちもいて、 親近感が湧きました。例の県立高校の正式名称は、H高校と言いますが、皆、「T」と呼んでいたので、ここでは「T」で統一します。

クラスメートの中に僕と同様、T高校に落ちて学力特待で入学してきた人がいましたが、その中の1人は、茨城県の新教研テストで 490点、県で一桁に入ったこともあるツワモノでした。

この年の2月初め、つまり千葉県公立高校入試の1か月前に ドラクエ3が発売され、僕たち中3の受験生の中には受験前の大事な時期だというのに、ドラクエ3に 明け暮れていた人も結構いたようです。そしてこの人もドラクエ3に没頭してしまったようでした。

それが災いしたのかどうかは分かりませんが、この人もT高校合格確実と言われながら、僕と同様に落ちてしまったということでした。

教室の窓の外を眺めて、「ここからT高校見えるかな」と彼はボソッと言っていました。 見えるわけがないのですが、彼の気持ちは痛いほどよく分かりました。何を隠そう僕自身も彼と全く同じ気持ちだったからです。 彼だけでなく、新教研テストで中3時代、490点以上で県で一桁に入ったことがある人も 同じクラスに複数いましたし、480点以上を取るツワモノはざらにいることが後に分かりました(後になって、前年の新教研の 県内上位者名をつらつらと眺めていて気づいたことでした)。

このクラスに少なくとも中3時代は僕が到底かなわなかったようなツワモノが多数いるという事実を知らなかったこともあり、 僕の当時の目標はこのクラスでトップを取ることでした。

僕の場合は中3の時に例の特訓教室で難関高校入試向けの難易度の高い授業を受けていた他、 開成高校、早稲田大学高等学院の入試対策にも取り組んでいたため、高校の学習内容をある程度先取りしていました。 そのため、東京の難関私立高校の入試問題に対応できる学力を持っているという優越感がありましたし、 単に優越感だけでなく、周囲の生徒たちと比べてかなりのアドバンテージがあるようでした。

それが奏功したのかは分かりませんが、1学期の半ば頃に行われたA類統一の難問テストでは、クラス第1位、学年第2位に輝きました。 この結果について、当時の日記には「この間の試験でクラスでトップを取った。これは自分の実力を考えれば当然の結果だ。 学年1位になれなかったのが情けないし悔しい」と強気なことを書いていますが、 実は自分にそう言い聞かせて奮い立たせているだけでした。

夏休み最後の河合塾の全統記述模試では全国100位以内(校内2位)に入って、 河合塾特製のテレホンカートをゲットしたりもして、成績最上位者の常連となりました。 この時、志望校に東大理科T類も入れてみたところ、A判定だった記憶があります。 「そうか、学年で2〜3位に入れているのだから、東大も目指せる位置にいるんだ、決して夢ではないんだ」と この時思ったのが、東大を始めて意識した瞬間でした。

最終目標を早稲田大学から東京大学へ引き上げたのは、このように実現可能性を考慮した結果です。

東大合格を夢見ることは誰でもできますが、目標というのは達成・実現が期待できるものでなければ意味がないわけです。 そこが「夢」と「目標」のはっきりとした違いです。

考えてみれば、この高校のクラスも中学校で上位一桁に入っていた秀才ばかりの集団のはずで、 単純に中3時代の新教研テストの成績だけを取れば、僕はこのクラスでは上位3分の1にも入らないほどのはずだったのですが、 そんな僕がこのクラスで最上位に位置していたのは、やはり中3時代、東京の難関私立高校対策をやっていた成果に加えて、 難問になればなるほど力が出るという僕自身の生来生まれ持った素質によるところが大きかったのだと思います。

いずれにしても、その後も試験を受けるたびに確かにクラスの中でかなりの上位にいました。 この状況を鑑みると、これは本当に東大に入れるのではないかという希望が湧いてくるのを感じました。

ここまでは東大に入るという目標を抱いた積極的要因です。

「積極的要因」と書くからには、東大に入るという目標に対する「消極的要因」もあります。

これから先はそれについて述べたいと思います。

次年次(高校2年)の授業料その他費用免除対象者45人は、その1年間の校内試験・模擬試験の成績と 作文・校長面接で決まるのですが、僕はその中でも特に最上位に入っていました。 作文でも「東大現役合格を目指して」という、これ見よがしのタイトルの作文を書いて、現在の学業成績とやる気をアピールしました。 結果は順当に決まり、次年度も授業料免除となりました(これは当然の結果ですが、家計が厳しかったため、親孝行ではあると思います)。

高校2年になってからも同様で、クラスでも最上位層をキープしていました。 放課後の半強制的な自主学習は毎日結構つらかったのですが、慣れてしまったこともあり、 また結果も出ていたので、自分としてはこのままこの調子で行けば東大合格も決して夢ではないという思いで取り組んでいました。 学校の校内難問テストの他、駿台、代ゼミ、河合塾、進研ゼミの全国統一模試も多数受けて、 そのいずれも校内一桁には入っていました。 高校2年の2月に受けた河合塾の東大入試オープンジュニアでは東大B判定、理系で校内3位ほどだったと記憶しています。

次年次(高校3年)の授業料その他費用免除対象者としても、ほぼ最上位で通り、結果的に高校3年間の 授業料その他費用は生徒会費を除いて全額免除となりました。

校長面接でも「本校の上位層の中でもかなり優秀な成績だと思う。これを続ければ来年、東大合格は確実なのではないか。 良い結果が出るようにこれからもさらに頑張ってほしい」というコメントでした。「頑張れば何とか東大合格圏内に滑り込めるのではないか」 と言われた人もいたとのことでしたが、僕の場合はそうではなく「東大合格確実なのではないか」と言われたことを ここで改めて強調しておきたいと思います。

しかし高校3年になり成績は急降下してしまいました。クラスの皆も同様でした。 先生たちが東大の問題への対処法について、今の僕から見れば明らかに誤った指導をしていて、 それを忠実に守っている生徒が逆にバカを見るという皮肉な構図でした。それは特に数学の勉強法において顕著でした。

これでは生徒に東大を目指せる素質があっても、先生がつぶしてしまいかねないと今の僕は思います。 そして実際、当時の僕は現在の僕のように受験生活を冷静に俯瞰しマネージメントできる能力を持ち合わせていなかったのだから、 先生の言う間違った指導法に従ってバカを見る羽目になってしまいました。

肉体的にだけでなく精神的にも余裕がなくストレスがたまり、爆発寸前でした。 夏休みもお盆休みすらなく毎日学校で朝早くから夜遅くまでとにかく机に向かわされる毎日でした。 これでは疲労が蓄積して勉強の効率も落ちてしまいます。

夏休み、少しぐらい休んでよいだろうと思い、親も僕のあまりの過酷な学校生活を見かねて、 仮病を使って遠方の博覧会(大阪万博EXPO'90)に行ったり、お盆休みには親戚の家に数泊して海水浴に行ったりと、 気分転換してきました。

数日ぶりに学校に戻り、「風邪をひいていました」と嘘の理由を言ったところ、 「風邪ひいてる余裕あんのか?」と担任から嫌味を言われました。 余裕があるも何も、人間いつ何時体調を崩すか分からないではないかと反論したくなりましたが、 次の瞬間、担任のこの言葉の本当の意味が分かりました。

僕は海水浴でこの時真っ黒に日焼けしていたので、「風邪をひいた」と僕がいくら言っても、担任の先生には「海に行っていた」 ということがバレバレだったのだと思います。 本当は「海に行く余裕あんのか?」と返すべきところ、僕が「風邪をひいた」と見え見えの嘘をついたものだから、 「海に行く」を「風邪をひく」という僕の言葉でそっくりそのまま置き換えたのだと思います。

あの先生、何て頭の回転の早い人なんだろう、と妙に感心したものでした。

このように毎日辛い学校生活を送る中で、僕は高校3年間で多くのものを失いました。

普通の高校生が自由気ままに毎日を何の苦労もなく過ごしているのを羨ましく思いながら、 自分は何て不幸で楽しみのないつらく苦しい生活なのだろうと思ったものでした。

東大を目指す上位層のクラスメートは自然と仲良くなっていて、学校の愚痴を口々に言うことでストレスを発散させていました。

「結局、この3年間は苦労の連続以外の何物でもなかった。これで東大に入れなかったら、この3年間は何だったんだって ことになるよな。だから東大に入るしかなくなったんだよ、俺らは。それが逆に学校の狙いなんだろうけどね。 俺らはその学校の狙いにまんまとハマったんだよ。だからと言ってそれに抵抗するのも難しかったから、 もうこうなったら意地でも東大に入るしかないよな。俺の青春を返せと言っても、もう仕方ないもんな。 東大に入って今までの借りを返せばいいんだからさ。」と言っている人もいました。

僕もまさにそのような心境だったので、皆も同じことを考えているんだ、と驚いたのをよく覚えています。 この辛かった3年間を帳消しにするには、最低でも東大合格・・・ 東大に入れなければ、僕たちは負け組・・・

最終的に僕が東大以外の大学が眼中になくなったのは、このような状況のためでした。

これが東大を目指した「消極的要因」です。

これが東大に入れるかもしれないという希望を抱いた「積極的要因」と「消極的要因」・・・

僕は不幸にも、東大に入るしかないという状況に追い込まれてしまったわけです。

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